日本一高いところに現存する山城「備中松山城」

雲海が発生する時期は、9月下旬~4月上旬の明け方から午前8時頃
特に10月下旬~12月上旬の早朝には濃い朝霧が期待できます。

雲海に浮かんだ備中松山城の姿は幻想的で、
だれもが写真に撮りたいと思うおすすめスポットです

 

豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます
しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく
旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて
町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき
先進的な思想にあります。

昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から
国の重要伝統的建造物群保存地区の認定を受けました。 

平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた
旧吹屋小学校(県指定重要文化財)。

明治6年(1873)に開校し、同32年(1899)に吹屋尋常高等小学校と改称し
現在の場所に移転、同33年(1900)には木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました
 

   『ベンガラが語りかける、繁栄の歴史』

赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、
この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産です

駅から歩いて20分
方向音痴なので
何度も聞いてようやく着い

頼久寺庭園

                
高梁市武家屋敷・旧埴原家 位が高い武士の家

下級武士の旧折井家見ただけでその違いが良く分かった
見学はエミリー一人でした
倉敷美観地区
暦応二年(1339)足利尊氏が安国寺として建立した禅寺である
特にその庭園は有名で小堀遠州の築庭と伝えられる
禅院式枯山水蓬萃庭園(鶴亀の庭)で江戸初期の庭園としては
わが国を代表するものの一つである
お庭はきれいでした、写真でみたら特に!

まだお昼前だった
パパは、仕事へ、「ママはとっても良いみたいだから高梁に行った方が良いよ」
と言い残して!

何も情報がなかったので駅前の案内所で聞いて調べてもらって
特急で高梁市へ

エミリーはここに行きたかった「ベンガラの街並み吹屋」
高梁に着いてバスの案内所へ
何とそこまでは1時間かかり、更に、日に3本しかバスが無いという
それではもう無理とあきらめた

倉敷の案内所で聞いたのとは全然違うわ~~😢

短い距離でしたが舟に乗り
船頭さんが色々説明してくれた

観光客がたくさん写真を写したので
皆で手を振りました

朝早く岡山から約20分
倉敷9時着
早朝なので観光客も少なかった

雲海は最初からもちろん無理だけど、
行って見ようかな~と思って頼久寺庭園でご一緒したご夫婦に「どうでしたか?」
と聞いた
お城の下まではタクシーで行けても、駐車場からシャトルバスに乗り換えて
さらにそこから20分お城まで坂道を上るそうです
エミリーは4時まで岡山に帰らなければならないから
時間を計算して無理なので諦めた
確かに日本一高い所にあるお城だもんね♪

残念ながら行けなかった所 二か所
もう行くことがないと思うので思い出にUP

今橋
大正15(1926)年に建設
鉄筋コンクリート造りのアーチ橋で
設計・デザインは児島虎次郎
龍の彫刻が見事
大原美術館は、1929(昭和4)年、西洋画家の児島虎次郎が亡くなったことを悼み
その支援者であった大原孫三郎が建設を計画し
総社市出身の薬師寺主計(やくしじかずえ)の設計で、翌年、日本初の西洋美術館として開館した
エル・グレコ、ルノワール、モネなどの西洋美術や、岸田劉生などの日本画、彫刻や工芸など多数

大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸
独特の製法で焼かれた瓦は、見る角度によって緑色に光り、
地元では「緑御殿」とも呼ばれている

オレンジに見える塀も説明してくれたが忘れて残念!

雑誌に載ってた
美味しいカマンベールを買いたいと
思ってが、今日は入荷なしで
残念でした

舟に乗るまで散策を楽しんだ

ここは2度目、以前は戸や塀など
改修後すぐだったので
なんかピカピカし過ぎてたが
今回は落ち着いて風情があった

観光ガイドや観光施設などの紹介を行う観光案内所
もとは倉敷町役場として建てられたもの
国登録有形文化財に指定されています


川舟に乗って白壁の町並みを楽しめる川流しチケット
もここで買いました

ベンガラの街並み吹屋てくてく散歩コース